ある教員の記録 ― 教壇の片隅で考えたこと ―第2章 バリバリ期

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教員の記録 Teaching note|ある教員の記録

第2章 バリバリ期|授業・部活動での全力投球

初任校での経験を糧に、次の学校へと異動したのは5年目の春。
「もう少し広い世界で、自分の力を試してみたい」――そんな思いが心の中にありました。


着任早々、3年生のクラスに飛び込みで入ることになり、授業は週27コマ。
副担任として動きながら、毎日が息つく間もないほど忙しかったけれど、不思議と充実感がありました。


それまで“新人扱い”だった自分が、少しずつ周囲に頼られるようになっていくのが嬉しかったんだと思います。

6年目になると、ついに担任に復帰。
授業20コマに、部活動顧問、地区代表、学校研修員、さらには分掌主まで。

どれも大変ではあったけれど、「任されている=信頼されている」と感じて、どこか誇らしかった。

タスクをこなすことが自分の価値のように思えていて、忙しいことがむしろ心地よかった時期です。

いま振り返ると、完全に“できる自分”に酔っていました。

そんな勢いのまま迎えた次の年、久しぶりに1年生の担任になりました。

新しい生徒たち、新しい空気。心機一転、また頑張ろう――そう思っていた矢先。

そこに現れたのが、“合わない学年主任”でした。

最初は「熱心な人だな」と思っていたけれど、次第に様子が変わっていきました。

小さなことまで逐一報告を求められ、休日や夜にも電話が鳴る。

「頼られている」から「依存されている」へ。

いつしかその境界がわからなくなり、気づけば自分の時間はすべて仕事に奪われていました。

ある朝、職員室のドアを開けた瞬間、身体が動かなくなりました。

教室に入ることを考えただけで、息が詰まる。

「もう無理かもしれない」――そう思ったのが、最初の“職場拒否”の日でした。

そのまま半年間の休職へ。

頭の中では「まだやれる」と思いたいのに、心と体がまったくついてこない。

理想を追い続けた結果、何も感じられなくなっていたのです。

あの頃の私は、

「がんばること」と「自分をすり減らすこと」の違いを、

まだ理解していませんでした。

第3章 俯瞰期|働き方と自分の限界を知る

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