こんにちは、kanataです。
SNSで悲しいニュースが流れてきました。
『教師のコンプレックスを揶揄するような行動をし、それを指導した結果
生徒が登校できなくなってしまい、
指導した教師は処分対象に』
といった内容でした。
教師のコンプレックスを揶揄する行動をとった生徒は、やらされた可能性があるとか、
教師も頭に血が上って冷静になれなかったとか、
いろいろな憶測が飛び交っています。
このニュースが流れてきたときに、正直コメント欄の世間の人の意見を見るのが怖かったです。
「教師が悪い」「ダメ教師」「教師失格」
とか、また書かれてるんじゃないかな、、、と。
共感性が人一倍高いので、まるで自分が言われているかのように感じ取ってしまい、
強く共感して疲弊してしまう質なので、
この手のニュースは見ないようにしていたのですが、
今日はつい見てしまいました。
コメント欄には、
「誰でもコンプレックスをいじられるのは怒って当然」
「冷静になれなかったとこも悪いけど、そんな余裕ないでしょ」
そのような意見が思ったよりも多くて、少し安心しました。
どちらかの肩をもつわけではありませんが、
この手のことは、当事者にしかわからないことが多いので。
誰かが誰かを攻撃し、傷つき、疲弊し、悲しい思いをするような
そんなのはもうやめてほしい。
大人も子どもも、
誰かを傷つけて、優越感を得るとか、
誰かを踏みつけて、承認欲求を満たしたいとか、
抑えられない苛立ちを、他人にぶつけるとか、
そんなことはやめてほしい。
今の世の中、みんなきっと生きるのに必死なんだろう
自分のことでいっぱいで、他人に優しくなんてできないのだろう
でも、何かをしてあげる優しさよりも、
「人が嫌がることをしない優しさ」の方が
よっぽど大切だと思うんです。
私は、自分の意見をもって人と議論するということを
今後はしないと決めています。
人の数だけ正義があって、人の数だけ意見があって、
合う人合わない人がいて当然。合わない人とは議論しない。
「あなたはそう思うんですね」って、しなやかに避けていこうと思っている。
このようなニュースを見て一番残念なことは、
教師だからとか、子どもだから、とかではなく、
最後に自分を守れるのは自分だけだということを、
いろんなことを失ってから気づくということ。
教師は「嫌な思いをした。大人でも傷つく。今後はしないでほしい。」と指導できれば良かったのかもしれないし、
生徒は「相手はどんな思いをするのだろうか」という想像力を働かせればよかったのかもしれないし、
管理職は、双方が納得する落としどころを見つけられたらよかったのかもしれない。
でも、全部所詮は結果論。みんな傷ついてしまったことが事実。悲しい。
一度傷ついた心は、決してもとには戻らない。
された側は一生忘れない。
ことあるごとに、ふとした時に、
心に刺さったガラスの破片で
その傷口が広がる。
ずっと。深く。その傷は広がり続ける。
だからどんな理由があっても、
人を傷つけてはいけない。
今回の件では、
コンプレックスを揶揄された教師も、
直接的指導を受けた生徒も、
それをあおったかもしれない生徒も、
同じ時間を共有してしまった他の生徒も、
処分を下すという決断をした管理職も、
みんな何かしら失ってしまった。
すぐには気づかないかもしれないけど、
これ以上傷つく人が増えないことを祈ります。
みんなが安心して暮らせる世の中になりますように。
kanata
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